「耳地蔵慰霊祭」に協力、参加される皆様への感謝のメッセージ

岡山県津山市東一宮に見つかったこの「耳地蔵」は、今から492年前、豊臣秀吉における朝鮮出兵(慶長・文禄の役)の際、津山の兵士が戦利品として持ち帰った朝鮮兵の耳を供養した「耳塚」です。

私が、これをはじめて発見したときは、神戸大学大学院修・博士課程で日本史を専攻している時でした。

実は、私は、岡山県備前市香登にある「鼻塚」を研究し、1994年に日韓の僧侶の協力でその鼻塚を整備し、一部を韓国へ奉安する事に協力しました。

ところが、安堵もつかの間、その2年後に、岡山県津山市東一宮に、この「耳地蔵」がある事を発見し、以来この津山市東一宮の「耳地蔵」を整備、供養する事が私の悲願になりました。

この度、『京都から世界に平和を広める会』が中心となり、この「耳地蔵」の鎮魂・供養式を行う事になった事を知って私は感慨無量です。

本来ならば飛んで行って参加したいところですが、コロナ感染がまだ収まらない中で、それもかないません。

せめて私の感謝の気持ちを伝えたくて、このメッセージを届ける事にしました。 

犠牲になった朝鮮人の英霊もどれだけ嬉しがるでしょうか。

約400年前の悲しい歴史が、謝罪と許しによって終止符が打たれ、犠牲になった英霊の慰霊が明日の日韓友好関係を前進させ、そして日本と韓国が強い絆で結ばれる隣国同士になることを切に願います。

 豊臣秀吉の朝鮮出兵と、その時に起きた悲劇の負の遺産である耳鼻塚の事については、『京都から世界に平和を広める会』の元外交官である天木直人さんが編集してくださった拙著『麒麟よこい-日韓和解の決め手はこれだ!』(展望社)に私の解説があるので参考にして下さい。

 この本の題名のように、今後明るい日韓関係がくることを祈ります。

 最後になりますが、この度の慰霊祭開催に際し、ご尽力いただきました関係者各位、および参加くださった皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

前 釜山外国語大学日本語科教授・学長

現 韓日文化研究所所長 文学・哲学博士 金文吉

(日本史・日韓関係史専攻)

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