京都耳鼻塚の魂の鎮魂の重要性について
「京都から世界に平和を広める会」として、来る10月23日午後二時(予定)から約一時間ほどの予定で、京都の耳鼻塚の前で慰霊式を行い、それをリアルタイムで動画配信させていただくことは既にお知らせしたとおりですが、魂の鎮魂の重要性について参考になる本を知人の紹介によって知りましたのでお知らせします。
その本は、小松和彦(こまつかずひこ)という文化人類学・民俗学の先生が、昨年7月に出版された宝島社新書「重ね地図で読み解く京都の『魔界』」と言う本です。
それによれば千二百年もの歴史を持つ古都・京都はたくさんの怨霊や妖怪が徘徊した都であり、そもそも、京都に都を移したのも、桓武天皇が弟で皇太子でもあった早良(さわら)親王の怨霊から逃れるためであったということが書かれています。
て京都に現存する名所・旧跡のほとんどが鎮魂に関係するものであるそうです。
この本には耳鼻塚についても、「増長した権力者の愚かさを語り継ぐ耳塚」と題して、次のような言及がなされています。
時代を経て権力者の趨勢も評価も変わるものだが、豊臣秀吉はその典型例だろう。
海外侵略を進めた秀吉は明治天皇に顕彰されたが、現在では晩年の秀次の処刑、朝鮮出兵は真逆の評価を下されているのではないだろうか・・・。
敵味方に多大な犠牲を出した朝鮮出兵は秀吉の死をもってようやく幕を閉じた。
この間、武将たちは戦闘の証として、敵の耳や鼻を削ぎ落して秀吉のもとに送ったという。
本来送るべき首では船の輸送が大変なので、かさばらない耳を選んだのだという。
のちにこの耳や鼻を埋葬したのが、豊国神社前の丘に残る耳塚だ。
かつては武功の証であった塚も、今では暴走した権力者の愚かさと、戦いに憑かれた者の野蛮さを伝える負の遺産になっている。
宝島社新書「重ね地図で読み解く京都の『魔界』」115ページより
この文章を読んで、私たちが行おうとしている慰霊式は意味があると改めて思いました。
魂を鎮魂することによって私たちも救われます。
どうか皆様も10月23日は動画をご覧になって一緒に慰霊に参加していただきたいと思います。 小椋正恵